産業化したヘヴィメタルが派手な方向を目指す一方で、デュラン・デュランやユーリズミックス、ワム!といったバンド群もメタルシーン同様にMTV効果を最大限に活かした演出で市場を賑わし、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの旋風を起こす。
上記のとおり、1980年代の音楽シーンを語る上でさけて通れないのがMTVである。1981年、バグルスの 「ラジオ・スターの悲劇」で放送開始した音楽専門のケーブル放送チャンネルは、ロックシーンを産業化していき、巨大な影響力をもつようになっていく。MTVでインパクトのあるビデオクリップを流すことが、「売れる」要素になっていき、ビリー・アイドル、マイケル・ジャクソン、マドンナらがスーパースターとなっていった。
この頃の音楽業界は、膨大な枚数のCDセールスが相次ぐ空前の好景気であり、ライヴ規模も含めて市場は巨大化の一途を辿った。以前から活動してきたミュージシャン達もこの時流に乗り、クイーンやフィル・コリンズ主導のジェネシス、ブルース・スプリングスティーンらがスタジアム級の巨大公演を世界中で実現させ、U2の「ZOO TV」ツアーにおいてそれは頂点を迎える。
その流れは、チャリティー・ライヴ・イベントバンド・エイド開催など巨大慈善コンサート・ブームにも結実したが、ロックの商業的な肥大化は進む一方であった。
オルタナティブ・ロックの勃興(1991年-1996年) [編集]
MTVが派手な産業ロックを垂れ流す一方、有線放送チャートやインディーズチャンネルでは、1970年代のパンクから1980年代のニューウェーブの精神性に連なるオルタナティブ・ロック(=非主流・型にはまらないロック)と呼ばれるサウンドが姿を現していた。この支持者たちは、メインストリームを闊歩するヘヴィ・メタルや市場の産業化を嫌悪し、独自のコミュニティを形成した。
その中から、アンダーグラウンドでの抜群の活動実績をもつR.E.M.がトップ・チャートでの最初の成功を獲得すると、次第にオルタナティヴ・シーンが活性化。その熱気を受け継ぐように1991年、ニルヴァーナがデビュー作『ネヴァーマインド』を全世界で大ヒットさせ、彼らの出身地シアトルを震源にグランジブームが全米を席巻した。このグランジ旋風は既存のロック・シーンに大きな衝撃を与え、この波に押し流された多くのメタルバンド達は表舞台からその姿を消していった。
1994年のニルヴァーナのリーダーであったカート・コバーンの自殺により、グランジブームはオルタナティブ・ロック・ムーブメントに呑み込まれる形で終わりを迎える。しかしさらに多様性を増したオルタナティブ・シーンは、ドラマティックな楽曲展開で絶大な支持を得たスマッシング・パンプキンズやパール・ジャムらを中心に、フー・ファイターズやウィーザーのようなグランジを経過した上でのキャッチーなメロディを提示したバンドによって引き継がれていく。
また、これとほぼ同時期、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの5thアルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』(1991年)の大ヒットにより、グランジとはまた別のオルタナティヴ・ロックとして、ファンクやヒップホップのグルーヴ感を取り入れたラップロックも市民権を得た。これらは日本ではミクスチャー・ロックとも呼ばれた。
さらには、DIY精神に則り、雑多なジャンク嗜好と手作り感を敢えて実践する手法(=ロー・ファイ)を用いた職人志向のミュージシャンも注目を集め、ベックやフレーミング・リップスらがその俊英として脚光を浴びる。
ほどなく、これらグランジもミクスチャーもローファイも全てひっくるめた「型にはまらない新しいロック」の総称としてオルタナティブ・ロックがロックのメインストリームとして定着し、一定の音楽性を示す用語ではないもの、1980年代のHR/HMとは違うロックのためのくくりとして、メジャーな1ジャンルへと転化していく。
ニュー・メタルとポップ・パンク(1992年-2000年) [編集]
オルタナティヴ・ロックの主流化を担ったミクスチャー・ロックは、よりヒップホップとの融合を掘り下げて進めたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンによって発展し、コーンらとともにラップメタルの1大ムーヴメントを興した。同時期には、グランジによって刷新されたメタル・シーンの新たな旗手としてマリリン・マンソンやナイン・インチ・ネイルズ、トゥールなどが人気を博す。
この動きは、80年代の産業ロック・メタルとは違う新たなヘヴィ系ロックとしてニュー・メタルと呼ばれた。
1990年中頃になると、グリーン・デイとオフスプリングが登場。彼らの登場は、グランジ旋風によって垂れ込めていた退廃的な空気を一蹴するように、ポップでわかりやすいメロディーに彩られたポップ・パンクが10代の若者を中心に爆発的に広がり、これにランシドやNOFXも続き、大きな成功を収めた。
しかしながら、アメリカ中心の上記両シーンは、直後からブームに便乗した一過性のフォロワーによる追随が蔓延する事態を招き、リンプ・ビズキットやリンキン・パーク、あるいはサム41やフォール・アウト・ボーイ等のブレイク辺りですでに産業化の様相を呈し、次第にシーンは飽和形骸化し当初の革新性を失っていった。
デジタル・ロックとポスト・ロック(1990年-2000年以降) [編集]
これらアメリカの動きとは別に、イギリスでは80年代末から90年代初頭にかけてハウス・ミュージックが流行し、新型のドラッグ流布と相まってレイヴカルチャーが形成されていた。ストーン・ローゼズやプライマル・スクリームなどはダンス・フロアの盛況とサイケな空気感をバンドで体現してマッドチェスタームーブメントを牽引。
この動きを下敷きに、旧来のテクノミュージックとオルタナティブ・ロックとの融合を図ったプロディジーやケミカル・ブラザーズが登場し、ロックとダンスのクロスオーヴァーをビッグ・ビートとして大成させた。
一方で、テクノロジー技術の発達による電子音楽・サンプリング音楽の発展から、エレクトロニカやヒップホップをロックに取り入れつつも、それをひたすらダウナーに鳴らし「踊れないダンス・ミュージック」として体現したマッシヴ・アタックやポーティスヘッドなどのトリップホップアーティストも続々とシーンに登場し、主に欧州を中心に人気を得る。
こうしたデジタル・テクノロジーの発達は、レコーディングのプロセスと風景を一変させ、音楽創作におけるプロダクションに大きな可能性を与えた。この先鋭化は、前衛志向のミュージシャン達による実験的なアプローチを促し、ロックの解体と再構築という試みが進んだ。この動きはエイフェックス・ツインやオウテカ、DJシャドウらによって徐々に形作られ、モグワイやシガー・ロスが登場する90年代末?2000年にはポスト・ロックとして商業的にも認知されるようになる。
インディ・ロックの時代(1994年-2000年以降) [編集]
1990年代中盤、グランジに揺れたイギリスでは、アメリカのロックへのアンチテーゼとしてブリティッシュ・ロックへの原点回帰的サウンドともいえる、オアシスやブラーに代表されるブリットポップムーブメントが発生した。そしてその後を追う形でレディオヘッドやトラヴィス、コールドプレイ、ミューズといった叙情的なバンドが登場し、2000年代の潮流の一つを作った。
その後、世界的なヒップホップ・R&Bの台頭の中で勢いを失っていたロック・シーンであるが、2001年にストロークスを始めとして、ホワイト・ストライプスやリバティーンズなどがデビューし、『ロックンロール・リバイバル(又はガレージロック・リバイバル)』と名付けられたロック復権の動きが起こり、現在(2009年)なお人気を博す。
ポストパンク、ニューウェーブリバイバル(2005年以降) [編集]
フランツ・フェルディナンドやアークティック・モンキーズといった、1980年代のニュー・ウェイヴやポストパンクを思わせる鋭角的でダンサブルなビートを取り入れた、ニュー・ウェイヴ・リバイバルやポストパンク・リバイバルと呼ばれるバンドたちも続々と台頭し、新たな勢力としてチャートを賑わせている。それらはやはりローファイなギターロックと言う面で、ザ・リバティーンズからの影響が色濃い。
イギリスのカルチャーの変化の影響もあってか、ダンスミュージジックが主に中心となってメインストリームを闊歩している。また、インターネットの隆盛により、ロックでもネットをバンドのプロモーション・紹介に利用する動きが世界的に活発となった。
1980年代から1990年代へ移り変わる際のシーンの動向とは違い、2000年代においては1990年代のバンドも依然セールスを堅持しているのも特徴。1970以前のバンドの再結成もチャートを賑わせている。
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